星屑の残滓

日記とか買ったガンとかプレイしたゲームのレビューとかを適当に書いてます。

前回の続き

さて、、この男が藤次郎の傅役となった時も色々ありました。皆さんも良くご存じの通り、、藤次郎は片眼が有りません。これは疱瘡という病で光を失っており、、更に物理的に取ってしまったからでした。故にこの男の別名が「蒼竜の右眼」とも云われてました。文字通り藤次郎の参謀として意見を求められれば応え、仲間との斥候役や遠謀という基幹部分を担うという活躍をしていたようです。また藤次郎というと「元祖 伊達男」であった訳で、その扱いも大変でした。なので、、幼少からの付き合いで藤次郎という人物を熟知していたこの男の緩衝材としての役割も大変重要でした。そんな主と最上、芦名と戦い続け北国有数の大国となった伊達家。しかしながら徳川時代の幕開け前、、大阪夏の陣の辺りで病となったこの男は、藤次郎ヘ今後の想いを告げてこの世を去って行きます。それは彼の実母(弟の謀叛疑惑の件で実家に戻っていた)を引き取る事、不穏因子に深入りしない事、不出来ではあるが重綱(この男の息子。父が小十郎の名を継ぐ。大坂の陣に措いての活躍で鬼の小十郎と呼ばれた)を使って欲しい事、徳川時代になり恐らく戦はもう無いだろうから財力で天下を獲って頂きたい、です。藤次郎はこの男が遺した言葉を守り、以後貿易を開始したりと伊達家は繁栄を続けました。又片倉家は代々藩主の傅役として寄り添う事で筆頭家老の地位に。以後廃藩置県までその状態が続いたようです。