星屑の残滓

日記とか買ったガンとかプレイしたゲームのレビューとかを適当に書いてます。

本多平八郎忠勝

徳川家康の配下では最強を誇る、、別名戦国最強の男(の一人)です。その理由は初陣から関ヶ原の戦いまで無傷であった事です(しかも毎回先陣切って突っ込むにも関わらず)。怪我は馬で堀を越えようとして失敗、壁に激突して鼻血出した程度。後は関ヶ原で島津追撃戦で馬を撃たれて落馬した程度というレベル。自分は鍾馗の加護を受けたと喧伝し、実際この結果ですので家康を始めとした徳川一門も「そうだな」で片付きました(これについては出陣前に験担ぎなお約束があり、まず家康が忠勝に「そちの体は傷一つ無いが如何にしたものか」と聞き、それへ「わしの身は鍾馗の皮を纏っている。我が身は殿の鎧なり。殿にし寄る万難はわしが打ち破る」と返答。で、、よっしゃ征くぞになる)。その他にもこの男については多数の逸話があります。例えば得物。天下三名槍の一つ「蜻蛉切り」という槍を扱うこの男。元々は叔父が付けてくれた指南役より頂いた「妙法村正作」の槍でした。その後に行軍中の一休みにて床几に座り槍は片手に立てたまま持ってた際に鬼蜻蜒が飛んで来ました。どうやら穂先に停まろうとしたらしく、穂先に着いた血油に滑り自重で刃に両断されてしまったのです。これがこの槍の名前の由来です。鎧についてはこの叔父がなけなしの金をはたいて用立ててくれた一品ものです。因みにこの叔父には幼い頃から支えて貰っており、妹であったこの男の母に頼まれて以降、、剣術指南役の手配や具足、心得に果ては嫁(側室である乙女)の世話までと多岐に渡っています。そんな訳で手塩にかけた甥を初陣の後に出迎えた際に叔父は仰天する事になりました。何故なら全身血塗れで帰って来たから、、。万が一死んでしまっては妹に合わせる顔が無い、、もう大慌てで近くから水瓶を持って来た叔父は倉庫にあったボロの甲冑と服を外して体中に水をぶっ掛けて血を洗い流しては傷の有無を確かめます。が、、何処にも傷等無く。安心してへたり込む叔父を他所に素っ裸で自分の股間部を弄って遊ぶこの男。要するに、、全身血塗れなのは全て敵の返り血だったというヤツで、最早呆れ返るしか無い叔父なのでした。そんな叔父も武田に攻められた際に討ち死にしてしまい、、この男は瓢箪頭に厳つい顔をぐしゃぐしゃにして泣くのでした。続きます。